伊勢神宮は皇大神宮、豊受大神宮、両宮に付属する別宮、摂社、末社、所管社などの総称を言います。古くは伊勢太神宮、二所皇太神宮などと記され、現在も伊勢神宮、また「お伊勢さん」と称されるが、実はただ神宮というのが正式な呼び名です。
ほかに明治神宮、橿原神宮、熱田神宮などと神宮号をつけた神社がありますが、それらと社格が異なり、神宮は古来、最高の特別格の宮居とされている。
また伊勢神宮といえば言わずと知れた初詣の名所。年末年始には全国から数十万人の参拝客で賑わいます。
宇治橋
内宮への入口、五十鈴川にかかる宇治橋は、日常の世界から神聖な世界へのかけ橋といわれています。宇治橋外側の正面から見る大鳥居の姿は感動的であり、身も心も正して清浄な宮域に入る心構えの大切さを感じさせてくれます。
宇治橋は20年毎に、かけ替えられます。全長101.8m、巾8.421mで、欄干の上に16基の擬宝珠(ぎぼし)を据えた純日本風反(そ)り橋で檜(ひのき)で作られていますが、橋脚の部分は欅(けやき)を使用します。
正宮
垂仁天皇26年にご鎮座されてから、2000年。4重の御垣に囲まれた一番奥にあるご正殿に、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)がお鎮まりになっています。
唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と名付けられる建築様式のご正殿はじめ付属の殿舎ならびに御垣は、20年に1度、式年遷宮の大祭を行って建て替えられてきました。遷宮によって、2000年昔と変わらない姿を今も拝することができるのです。
豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祭り申し上げる豊受大神宮は、内宮(ないくう)に対して外宮(げくう)とも申し上げます。
雄略(ゆうりゃく)天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波(たんば)の国から内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。今からおよそ1500年の昔のことです。 豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどられています。このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。
第一鳥居口参道
この参道は外宮の表参道にあたります。入口には防火のためにつくられた掘川が流れ、火除橋(ひよけばし)がかけられています。
火除橋をわたり神域に入るとすぐ左側に手水舎があり、ここで手を洗い口をすすいで心身を清め、ご正宮へと向います。
正宮
皇大神宮(内宮)ご鎮座より遅れること481年、雄略天皇の御代、天照坐皇大御神のお告げによって、丹波の国(今の京都府下、天橋立付近)から、この伊勢の国度会の山田の原にお迎えした、豊受大御神をおまつりしています。
唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)といわれる、建築様式のご正殿は、ほぼ内宮の正宮と規模やつくりはかわりませんが、鰹木が内宮より1本少なく、千木が外削(先端が垂直に切られている)になってます。
伊勢名物「赤福」が、『内宮の門前町「おはらい町」の中ほどで、約300年間変わらず商いを続けてこれたのも、お伊勢さんの「おかげ」』という感謝の気持を持って、平成5年7月に誕生させたまちが「おかげ横丁」です。いわゆるテーマパークではないので、入場料といったものはありません。約2700坪の敷地内には、江戸から明治にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築・再現され、この地方の魅力が凝縮されており、三重の老舗の味、名産品、歴史、風習、人情まで、一度に体感していただけます。
またおかげ横丁では年間を通して大小様々なイベントを開催しております。特に大晦日に開催される「おかげ横丁行く年来る年」と称された年越しイベントでは伊勢神宮年越し参りの参拝客とも重なり盛大に開催されることで有名です。伊勢神宮にお越しの際は是非おかげ横丁にお越しください。きっと暖かな風情溢れる町並みに心癒されることでしょう。
■長ひじき(伊勢志摩産) |
■芽ひじき(伊勢志摩産) |
■刻みめかぶ(伊勢志摩産) |
■あおさ(伊勢志摩産) |
■刻みあらめ(伊勢志摩産) |